ブラック企業で死にかけた俺の自己紹介 ~その7~

さて、前回の郵便局の事故で、ガチで仕事を取り組むのがイヤになった俺は郵便局を半年で辞めて、見事にプータローになってしまった。ニートっていったほうがわかりやすいな。

確かにヒマにはなったが、収入源が一切なくなってしまった。この点がヨメ持ちになった俺にとってツラいところだった。

一応結婚する前に、親からもらった独立資金みたいなものはあったがそれでも無限ではない。いつになったら就職できるのか具体的にわからない状況下では、あんまり使っちゃヤバイとは思っていた。

だが、である。持ってることは持ってるのだ。この点が後々考えればあまりよくなかった。

とはいえ。ヨメの収入もある。今すぐにメシが食えなくなるほどヤバイ状況ではなかったが、いずれにしても自分のお小遣いやら何やらは極端に制限しなければならなくなってしまった。カップラーメン3食とか結構普通だったなそう言えば。

一方で学生の頃と同様に時間だけは余るようになった。そして車だけは好きに使え、ガソリン代はヨメ持ちだったので、青森県内のさまざまな場所に自分で行くようになった。この時に県内の観光スポットとかを自分1人で気ままにドライブして、っていうのが後々役に立つことになる。

とはいえ基本的にはヒマ。ヒマだと人間ロクなことやらない。俺の場合はパチンコとスロットと、まさにテンプレなクズになりつつあった。1パチと5スロだったからまだ緩やかだったからよかったが、それでもこの期間で100万近くはスったような気がする。

あとは青森県内にあるメシや、パチンコ及びスロット以外の遊びで費やす面も多かった。ゲーセンのメダルゲームとか。平気で5000円単位で使ってた時もあったな。

俺の住んでいる地方では、都会と違って朝8時30分からパチンコ屋がオープンする。都会の10時オープンが普通だと思っていた俺は、この点でもびっくりすることになる。ロクな内容ではないがね。

そんなクズな生活をスタートしたのは9月だった。ちょうど外に出ても寒くもなく、暑くもないっていう季節だった。だから外に出る機会が多かった分出費も多かったんだな。収入ないのに(笑)

さて、辞めてから2カ月が経過して11月になった。そろそろ自分の立ち位置がヤバくなってきてたので、ヨメと相談して次の職場を探したところ、偶然にして米軍基地内の仕事が見つかった。

まぁ海外に留学してました、みたいな特殊な経歴を持っているわけじゃないので、受かればいいな~程度の気持ちで応募して面接を受けた。

10月の後半くらいに何となく書類出したっけ、みたいなのが11月になって面接の呼び出しがあったからだ。それで面接を実際に受けた。

面接は新卒の就活の時の面接と違って、質問の内容の方向性が全く異なる。皆さんも一度はバイトであれ、正社員であれ面接は受けたことがあるだろう。そのため、質問の内容はよく御存じのはずだ。

当然俺もそんな感じの1人だったので、日本式の面接の内容を想定していった。しかし、実際にはまったく異なる内容が質問された。こんな感じだ。

  • 英語はどこで、どれくらいの期間学習したのか
  • 24時間営業で深夜勤務あるけど大丈夫か
  • カスタマーサービス(接客業のこと)において一番大切なことは何か。意見を述べて。

もちろん全て英語だ。面接の説明から質問まで全て英語なので、その流れ自体も試験範囲に含まれていると考えるとわかりやすいだろう。

確かに俺には英語学習の経験はあった。高校の時に1ヶ月オーストラリアに留学したという経験が!だが、それもこの時点では10年前の話。古すぎてもう忘れてるよ、程度のレベルだったのだ。

なので当然応対はボロボロ。ブロークンイングリッシュすぎて無理だろう~っていう感覚はあった。まして英語を使わない仕事ならまだしも、思いっきり応対を求められる職種だったからだ。

なのでパチンカスしてた。ある意味いつも通りに。スーツを着ながらパチンコするのは、この時が初めてだったことを覚えている。

そして12月1日。電話がきた。LMOという駐留軍労働者機構から。合格してるので、さっさと必要書類とパスポートのコピーよこせという内容だった。

つまり本当に米軍基地の従業員になることができてしまった。

次回:ここはよかった米軍基地!

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