ブラック企業で死にかけた俺の自己紹介 ~その6~

そう、それは青森にしちゃちと暑かった8月の夏の日。太陽が眩しかったことは覚えてるが、それ以外はもうすでに忘れた。だが、忘れられないことが一つだけある。

そう、俺は事故を起こした。

バイクで配達してる時に急いでいて左右確認しないで、飛び出したところ車と接触しそうになったのだ。

幸い車自体は避けられた。この点はぶつからずに済んで、賠償金みたいなのはなかったので、せめてもの幸いなポイントだった。ただし、盛大に転んで右足を2週間包帯で巻く始末になった。

まぁもちろんいくら急いでいたからって左右確認をほぼしないで道に飛び出したわけだから、俺が責められてもちろん文句は言えない。無茶な郵便量配達させんなよってのはあったが上の連中からすれば、要領悪いお前が悪い!だったからねぇ。

ただ、ショックというか精神的にキツかったのは、事故直後の同僚の対応だった。肉体的に痛いってのもあるが、それよりもひどかったのだ。この地方は

病院に連れていってくれた上の人たちの対応は管理職として妥当なものだった。そこには文句もない。ただ、その病院帰ってきてから、同僚が事故を起こした場所や状況についてネチネチ文句を言ってくることはツラかった。

「あんなところで事故起こすとかありえねぇ~だろ~!?」みたいなノリで責めてくるから、こっちとしても正直しんどかった。

いや、こっちが悪いのは分かってるから文句はしょうがないものの、もう少し時間おいてからにしろよと・・・・帰局して松葉杖で片足歩きながらよちよち来て5分もたたないうちにコレかよ・・・と。

まぁその日の数時間のうちに松葉杖ついてでも帰局してきたので、大したことないと思われたんだろうな。んで、さすがに遠慮してたのにいい加減皆さま方はうんざりしてたと。

たしかに事故を起こしたおかげで、その日の俺の配る量は班のみんなが肩代わりしてくれたわけだ。本当はそこで、感謝の意をまず示すべきだったんだな。

が、まぁ前の記事見て頂ければわかる人にはわかると思うが、とても人間的にも信用できず、まして尊敬もできな人たちなのでその点がおろそかになってしまったのだ。

それが、班の皆の怒り(?)のトリガーを引いてしまったということにもなっているんだろうな。

で、この日を境に本格的に郵便局で働くことがイヤになってしまった。翌日にそのままバイクに乗らない内勤をこなしていたが、もう心底勤務するのが嫌になってしまった。

命の危険もあったのに、という面もあった。同僚たちもどうにもこうにも配慮がないというか、レベルが低いと言うかみたいなのに前々から嫌々なのもあったけどな。

そして、以前の郵便局の職場に比べて、人間関係は微妙、時給は200円以上下がる、そのくせ勤務内容も以前よりハード・・・正直続けるにはもう精神的に無理だったのだ。

そして、俺は郵便局を辞めた。結婚してわずか半年でプータローになったのだ。

これには自分でも結構驚きだった。ただし、この時に学んだことは以前の某ブラック企業においては、肉体的な厳しさから精神的に参ってしまったのだが、その逆もあるということだった。

つまり、精神的に辛いために心底肉体的にも疲れてしまうということだった。人間無理は出来ないな、と後悔した面もあるが安堵した面もあったのだ。

まぁこの仕事を辞めた実感が湧くのはもう少し先の話ではあるのだが・・・

次回:盛大なプータロー生活の後に待っていたものは・・・?

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