ブラック企業で死にかけた俺の自己紹介 ~その5~

さて、結婚後でガチで浮かれていた俺を待っていたのは・・・・・・・

まぁいい。結論を言おう。

常識が通用しなかった。というか全く違う世界だった。

俺自身、常識って言葉は嫌いであまり使わないようにしてるんだけど、自分の経験した考え方と大きく違ったってことが事実だった。

都会方面で団地配達をしてた時は、同僚ともある程度仲良くはするし表面的であっても仲良くはする。間違ってもケンカ腰で仕事をするなんてありえなかった。そもそも、おばちゃんたちとケンカしてど~すんの、って面もあったからな。

しかし、この表面的に仲良くするっていう文化が全くなかった・・・・・・・・

結婚後に青森に移って郵便局に採用されたはいいけど、その後に現場に入ると、ある意味新人なのにベテランと同じだけの仕事をいきなり任され、できないとキレられるっていうとんでもないとこだった。

都会であれば出来ない新人であっても、新人にいきなりツラく当たることはなかった。だが、ここでは地方であるために、皆が皆小学校から高校までの同級生、みたいなノリで仕事をしていた。つまり俺はヨソモノだったのだ。

そして、そんな中でただ活動する場所が学校から職場に変わっただけなので、職場のノリがはっきりいって部活とおんなじ。

先輩が凄い偉そうにしてて、「お疲れ様ッス!」みたいな感じの職場。仕事終わったら先輩が飲みに誘ったら付きあわなきゃいけない、みたいなそんな濃い人間関係がデフォのとこだった。話のネタも「俺が高校の時にはナンタラカンタラ・・・」みたいな話ばっかりだった。

いやそれ自体はいいんだけど、その話さっぱりわからんし、それであんたに敬意を抱けって言われても無理だわな、と言いたかった(笑)

狭い人間関係の中で世界が完結している人たちが集まった場所。それが地方の郵便局だった。

とはいえ後戻りも出来ない俺はとにかく、仕事はやった。前の団地配達よりも仕事内容はハードに、給料は時給が200円以上も下がってモチベーションも最悪だった。

仕事の内容は通常のバイク便になり、不慣れなバイクを使用して地図を極めて詳細に覚えていくことが求められたのだ。団地配達の時には○○コースは最初は何号棟、次に何号棟、次に何号棟・・・・最後に何号棟でよかったのだが、これがより細かくなってしまったのだ。

しかも、バイクは車が通れないような細い道を積極的に通る。結果的にネコ道のようなところを通ることが多く、細かい。それを1週間そこそこで覚えることなど到底不可能であることはわかりきっているのだ。

加えて、俺は青森の今住んでいる地域に越してきてまだ2ヶ月。一般人としての地理感覚ですらまだまだ十分ではなかった。そんな俺が、その地域で20年以上育ってきた人たちの地理感覚と比べられたら、と考えればどうなるかは予想が付くだろう。

しかし、である。

地方では周りが、つまりみんなができることはお前もできなければならない、いやすぐにできるはずだ、という意識がほとんどだったのだ。

まぁ基本的には、俺の住んでいる地方で郵便局員として働いている人は高卒ですぐに入社して、そのまま働いている人がほとんどだった。基本的な考え方や世界観、価値観が自分の周辺だけで完結している人が、圧倒的に多かったのだ。

とはいっても、文句を言ったところでカネが入るわけでもない。のでとにかくやった。こっちの地方の連中は「モチベーション」なんて考え方はなかったけどな。とにかくやれ、しか頭にない。

だがそんな感じで毎日慌ててやってれば、精神的にも肉体的にも疲れてしまう。新卒時のブラック企業に比べればマシではあるものの、今度は逃げ場がないという精神的に追い詰められる経験をすることになる。

そんなある夏の日にトラブルが発生する。事故を起こしてしまった。

次回:事故ったことよりも○○がツラかった・・・・

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