ブラック企業で死にかけた俺の自己紹介 ~その4~

さて、前回の続きだ。バイト先として選んだ先は郵便局だった。なぜ郵便局なのかって?それは、概ねこんな感じだ。

  • 若干興味あった
  • 偶然年賀状のチラシ見て、結構時給良かったから

わかるとは思うが2番目の理由が圧倒的だ。後になってわかるのだが、この時期は基本的に人手が一時的に大量に必要な時期なので、募集が大々的にかかり時給も比較的よいのだ。

郵便局冬休みアルバイト↑こんな感じのやつ

俺の場合もその例にもれず時給もよかったしな。900円だけど。ただ、募集要項に書かれてたのが「自転車で配達できること」ってのが一番気になった。

普通郵便局員は原付から普通バイク免許で乗れる範囲のバイク乗って配りに行くことは俺も知ってた。だからなおさらなんで自転車?って思ってたことは普通にあった。それが勤務先にいってすぐにわかる。

団地配達だったからだ。

つまり、かなり限定的な範囲の集中的な配りを担当するための募集だったんだな。よく募集要項見たら、短期バイト(年賀状の時期オンリーのやつな)じゃなくて、半年更新の普通のバイト扱いだった。

自転車を使って、70棟程度あるマンションの団地配達だった。1棟毎の大きさは物によって違ったが、大きいもので12階建て。小さいものだと一軒家だった。これらを5つの担当区域に分かれて毎日配っていくのが仕事だったのだ。

まぁ俺にとっては都合がよかったと言えばよかった。稼ぎたかったのは事実だしね。

こんなんで俺のバイト生活は始まった。んで、一方で教職免許取るための通信教育生活もスタートする。科目は英語教員だ。英語を話すことと聞くことは苦手じゃなかったんだが、ブンポ~とかそのあたりがボロボロだった俺は、なかなかに苦労した。

そんな俺だったが少なくとも郵便局のアルバイト(正式には期間雇用社員という)は不思議と性に合っていたようで、結婚する直前まで3年間も続けた。

まぁその間には書留を間違った場所に配ったり、サインをもらい忘れたり辞める直前に比較的大きなクレームなどを引き起こしたりしたが、その最後の件だけはクレーマー体質のお客さんだったらしく、大きなトラブルにはならなかった。

まぁそんな感じで、職務をこなしていく過程は、これはこれでよかった。

英語教員となるための単位を修得する面は、それはそれで大変だった。シーズンに1回くらいは講座に出ないとまともな速度で単位を習得できないという面もあって、お金も飛ぶし時間も飛ぶ。その上でレポートも仕上げることを求められる。

そして教育実習をはじめとする実地研修もある。その期間は郵便局員としての仕事も休まなければならないために、研修が終わった後の収入がボロボロになってカップ酒一杯すら飲む事を苦労するような状況になったこともあった。

まぁもちろんこれ以外にもいろいろな苦労はしているんだが、ブラック企業で10時間ベースで回転を経験したこともある俺から見れば、まだましな部類だった。少なくとも体力的にもう無理、っていう勤務や勉強内容はなかったからだ。

まぁそのかわりに頭を使うことは求められたが。学生の頃やったけなそ~いえば、という気持ちで取り組みながらも、めんどくせ~と何度も思ったものだ。

さて、結婚してそれに伴って団地配達の郵便局を退職、通信教育で苦労した英語教員の免許もギリギリで無事に回収して、青森で新天地として活躍しようと躍起になっていた。

前職の郵便局での経験を活用して、やっぱりしばらく郵便局でバイトしようと思って、居住地近くの郵便局に応募した。団地配達ではないだろうが、要領は同じなのでなんとかなるだろうと高をくくっていたのだ。

しかしこれがいけなかった・・・・

次回:同じ郵便局でも勝手が違いすぎる!

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